PRIDE崩壊をふり返る①:会社の組織と歴史

森下直人(もりしたなおと),
1960-2003(享年42歳, 自殺),
元DSE代表取締役社長.

 

 

 

こんにちは、山田です。

 

結構、手間がかかりそうで取り掛からなかったPRIDE最後期(さいこうき)について、まとめてみたいとおもいます。

 

(以下、人名はすべて敬称略になります。)

 

 

 


・会社組織


 

 

PRIDEは、RIZINの前身です。そういっていいともおもいます。

 

RIZINのCEO榊原信行は、上掲画像の森下直人の部下でした。

 

ドリームステージエンターテインメント(Dream Stage Entertainment)
通称DSE(Wikipedia

代表取締役社長:森下直人(Wikipedia)1960-2003

常務取締役:榊原信行(Wikipedia)1963-

広報:笹原圭一(Wikipedia)1967-

 

この三羽烏は鉄壁だったのかな?

 

シバター八百長の件で出てきた広報・笹原氏も、このときから居たのでした。

 

ちなみに現在RIZINを運営しているドリームファクトリーワールドワイドもDSEと同組織とかんがえてよいでしょう。

 

 

 


・歴史


 

 

ドリームステージエンターテインメント(DSE)=ドリームファクトリーワールドワイドの歴史をみてみましょう(参考:WikipediaDSE;WikipediaPRIDEの大会一覧)。

 

1999年:それまで、バラバラの組織の集まりKRS(格闘技レボリューション・スピリッツ)により運営されていたPRIDEが、DSEによって運営されるようになる。これがDSE設立の年(PRIDE5=コールマンの八百長があった興行から運営)。

2000年:フジテレビによる地上波放送開始。ただ、K-1やらアントニオ猪木、Wrestle-1やらが絡んでPRIDEそのものの色が不明瞭になる。ただ、ナンバリング(PRIDE1とか)のみならず、PRIDEGRANDPRIXが始まったのは、この年。

2003年:社長の森下直人が自殺。常務取締役の榊原信行が代表取締役(社長)に昇進。

2003年:PRIDE武士道(日本人に特化したともいえるPRIDEで、五味孝則が有名)。11月9日PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦は、PRIDE史上最大の観客動員数。会場は東京ドームで、67,451人。

2004年:ハッスル旗揚げ

2006年:ヤクザ問題が発覚し、フジテレビより放送契約解除。

2007年:UFC(まだダナホワイト体制ではない)による買収により事実上消滅。

 

・・・まあ、注目するのは2003年2006年ですね。

 

本連載では、2007年もあつかいたいとおもいます。

 

ソース(情報源)だけは溜まっているので、あとは記事化するだけなのですが・・・

 

・・・・・・

 

それでは、今回はここまでです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。m(_ _)m

 

(以下、人名はすべて敬称略になります。)

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