PRIDE崩壊をふり返る②:社長の自殺

森下直人(もりしたなおと),
1960-2003(享年42歳, 自殺),
元DSE代表取締役社長.

 

 

こんばんは、RIZIN八百長問題から、PRIDE崩壊に関心がうつって記事を書かせて頂いてます。

 

参考:PRIDE崩壊をふり返る①:会社の組織と歴史

 

今回は、DSE社長、森下直人(もりしたなおと―以下、場合により敬称略)の自殺について、まとめてみたいとおもいます。

 

 

事実関係

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この本に載ってます。

 

 

森下直人氏の自殺は、以下のように記録されています。

 

総合格闘技ブームが日本を席巻していた2003年1月、ブームを牽引する人気イベント『PRIDE』を主催する『ドリームステージエンターテインメント(DSE)』社長の森下直人が、西新宿のホテルの客室で死亡しているのが発見された。

“総合格闘技界のビル・ゲイツ”の異名をとった若手社長の、早過ぎる42歳での死だった。

翌日、警察は「事件性はなく自殺」と発表。

DSE側も死因について会見し、「不倫女性の間での別れ話の縺れから森下社長が自殺を図った」「激情型だから突発的に…」と語った。

だが、記者たちの中には首を捻る者も少なくなかった。遺書が残されておらず、森下社長が死去の数時間前、記者会見でPRIDEの展望を長時間に亘って熱弁していたばかりだったからだ。

また、交際女性の詳細な事情聴取も完了していない段階で、「自殺はあくまでプライベートな要因」とDSE側が強調したことも、疑念に拍車をかけた。

極めつけは、死の一報を聞いたアントニオ猪木の発言だった。「自殺? 誰かに殺されたんじゃないか」――。様々な憶測が業界内外で囁かれた。

格闘技興行に何らかの形で裏社会が関わっていることは公然の秘密だが、ビジネス畑出身の森下社長は、不透明に消える多額のカネを改善しようと動いていたこと。死の直前の会見でも経営のクリーン化を語っていたが、それによって裏社会とのパイプ役を務めていたとされる“PRIDEの怪人”と呼ばれた作家の百瀬博教氏と対立していたこと。

はっきりしていることは、森下社長の変死後、裏社会がPRIDEに直接影響力を及ぼすようになったことだ。

そして2005年、週刊誌がPRIDEと暴力団の繋がりを指摘したことにより、『フジテレビ』は中継の打ち切りを決定。

一気に経営が傾き、2007年に事実上消滅した。

百瀬氏も2008年、自宅マンション風呂場の湯船につかったまま死亡。

2015年末、PRIDEは『RIZIN』と名前を変え、9年ぶりの復活を果たしたが、往年の勢いは既になく、不振に喘いでいる。

 

青文字の年(とし)については、前回の年表をご参照ください。

 

それにしても”ビルゲイツ”ってのが、なんか時代を感じさせますね・・・。

 

 

百瀬博教

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百瀬博教
(ももせ ひろみち, 1940-2008)
68歳を考えると、
上掲記事で百瀬氏の死を変死、
あるいは暴力団の関与であるかのように
脚色しているのは正直、首肯できない。

 

 

 

・・・で、上掲記事で出てきた百瀬博教ですが・・・このひとはシロではないか、あるいは森下直人氏の死とは関係ないんじゃないか、と私はおもってます。

 

Wikipedia百瀬博教(日本語)から↓

 

立教大学文学部史学科卒。大学時代は1960年(昭和35年)から赤坂の高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で用心棒を勤めた。そこで俳優の石原裕次郎と知り合うことになり「弟分」を名乗ることとなる。用心棒として23歳のときから拳銃の密輸を始め、28歳のときに拳銃不法所持により警視庁へ出頭。その後、裁判前に秋田県に逃亡したが結局逮捕され、6年間の刑務所生活を送り、その間に読書生活を送った。

格闘技愛好家としても知られる。プロレスラー・アントニオ猪木と親交を持ち、総合格闘技イベントPRIDEには1999年(平成11年)から関わりを持っていた。メディア登場時には「FOREVER YOUNG AT HEART」(心は永遠の若者)とプリントされた黒い野球帽を常に被っている事でも知られていた。大手ネット掲示板2ちゃんねるでの通称は「ピーチ」。「百瀬」の読み、「ももせ」を「桃」としてその英語読みから取られたもので、猪木はそのニックネームを知ると「ピーちゃん」と気に入っていた。

2008年(平成20年)1月27日午前2時40分ごろ、自宅を訪れた知人が風呂場の湯船の中で意識を失っている百瀬を発見。救急搬送されたが、同日午後3時半ごろ、死亡が確認された。 死の3年ほど前から体調を悪化させていたという。

元プロレスラーのアントニオ猪木とは、1992年(平成4年)頃に知り合う。高校時代の後輩で芸能事務所ケイダッシュとプロレス団体UFO社長だった川村龍夫に新右翼活動家の野村秋介と猪木のトラブルの仲介を頼まれたのがきっかけだった。1990年代末頃から猪木とは接近し、猪木の詩集をプロデュースするなどした。

1999年(平成11年)に当時格闘技評論家の谷川貞治から総合格闘技イベントPRIDEを運営する森下直人社長を紹介され、PRIDE運営会社ドリームステージエンターテインメントが設立される際には3,000万円を出資したとしている。

以後、2003年(平成15年)までPRIDEに関わり、アントニオ猪木とPRIDEを結び付け、自らもプロデューサー的役割を担っていた。選手には小遣いや土産を渡すなどタニマチ的な存在で、試合に勝った選手がリングサイドにいる百瀬に挨拶へ向うのはPRIDEの名物ともなっていた。

 

最後のところがプライドの怪人って言われるところでしょうね。

 

タニマチってのは、なんか、カネくれる客のことみたいです。

 

よくわからん

 

 

 

現時点で、前記事の年表なんかから素人目でふり返ると、森下直人は、ヤクザからの圧力での、つまり仕事上の問題で自殺した、と私は印象をもっています。

 

ライブドア事件(野口英昭の死)なんかでもそうでしたが・・・

 

① 社会的知名度のある企業での失態(PRIDE=DSEの場合はヤクザ絡み)

② PRIDE解体による家庭への経済的社会的体裁的うしろめたさ

③ 錯乱による自殺

 

・・・というのが筋だとおもいます。

 

ここに仮に不倫相手が絡んだとしても、不倫のもつれで自殺・・・というのは考えにくいですね。

 

もんのすごい家庭思いのパパでもなければ(こういうのは、不倫するほうでも、されるほうでも、女性=妻のほうが図太い気がする)。

 

みなさんは、どうおかんがえでしょうか。

 

・・・・・・・

 

それでは、今回はここまでです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。m(_ _)m

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