この黒髪長髪で
nWoの黒い革ジャン着ている
イメージが強いかな。
こんにちは、ヤマガタです。
WCWについて必要最低限の知識をまとめてます。
今回はエリック・ビショフ(Eric Bischoff)です。
nWoつくったひと
UWFインター vs 新日本プロレスの対抗戦
激突!!新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争
1995/10/9
観客動員数6万7000人!
(参考:Wikipedia)
前回の記事ですでに現れていましたが、エリックビショフはnWoをつくったひとです。
・・・黒と白をテーマカラーとしたヒール軍団「nWo」が結成された。ストーリー上の設定はユニットではなく、WCWに敵対する「新団体」ということになっていた(これはエリック・ビショフ副社長が新日本プロレスとUWFインターナショナルの抗争を参考にしたためとされる)。
UWFインターナショナルというのは・・・
リンク先はWikipediaですね。
・・・いわゆるU系というのは、日本のMMAブームの先駆けでしたから、エリックビショフは随分”誤解をしていた”ことになります。
さもありなん、という感じですが・・・(ゴールドバーグとかも、この脈絡で登場したことをかんがえると、さらに味わい深いです)。
副社長だった。レスラーでは(もちろん)ない。
エリックビショフはWCWの副社長で現場監督でした。
WCWでもリングアナウンサーからプロモーター、ブッカーへと仕事を移していき、もともと優秀なビジネスマンだったこともあり1993年にはWCWの副社長まで上り詰めた。ビショフが現場の責任者となってストーリー構成の中心者になってからは、1995年にWWFのロウの裏番組としてマンデー・ナイトロを開始し、WWFに対して視聴率戦争(マンデー・ナイト・ウォーズ)を仕掛ける。WCWの潤沢した資金をもとにWWF、ECWから目途を付けた数多くのレスラーを大金で引き抜くようになる。
スーパースターの引き抜き、自らも加入したnWoの空前の大ブレイクなどでWWFに対しWCWは優位に立ち、一時はWWFを倒産寸前まで追い詰める。だがベテラン中心のストーリーで若手に出番が与えられず、またビショフと仲が良かったnWoメンバーやケビン・ナッシュ、ビル・ゴールドバーグらのレスラーが発言力を増幅させて自己主張を通すようになり、団体内の統制が混沌としたものとなる。それに呼応するようにストーリーもnWo一辺倒な物ばかりが目立ち、ファンからはマンネリ化を指摘されていた。このWCWの現状を見てWWFへの移籍を決意した選手は多く、徐々にメジャー団体としての求心力を失ってしまう。
MondayNightWarsは、ビンスマクマホン vs エリックビショフだった、とみなすことができます。
皮肉なことにエリックビショフは、2002年~2007年までWWEのGMでした(このGeneralManagerというのは、制作部とか裏方というより、むしろ現在ポールヘイマンがやっているみたいな”TVに出るタレントの1人”といった意味合いが強いです)。
メディアを漁っていると、やたら出てくるので、今回エリックビショフについて、まとめました。
こんなんでいいでしょう。
・・・・・
それでは、今回はここまでです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。m(_ _)m